川越まつり (2012年10月21日)

2012年の川越市制90周年を記念して、例年よりも大々的に行われた「川越まつり」の雰囲気を、
少しでも伝えられれ良いなと思い、何年も前に買った古いデジカメを持って、川越まで行って来ましたが、
カメラが古過ぎて解像度が今や写メ・レベルな上に、写真を撮るなんて久しぶりだから、
手ぶれでピンボケするは、細かい操作は解らんは、しかも構図は悪いはで、本当にひどい出来に・・・・

あまりにひど過ぎる出来に、実を言うと1度は公開を諦めたのですが、
まあ、こんなマズい写真でも、祭りの雰囲気が少しでも伝われば良いかと思い、
せっかく撮ってきたので、恥を忍んで、とりあえず晒し上げておきます(笑)。
いや〜、改めて思い知りましたが、ブログとかで何気なくアップされてる写真も実は凄いんですね!!





いくつもの巨大な山車(だし)が街中を練り歩く事で、千葉の「佐原の大祭」、茨城の「石岡のおまつり」と並び、
『関東三大祭』の1つに数えられる埼玉の「川越まつり」ですが、祭りの正式名称は「川越氷川祭」という事で
まずは、その氷川神社から行ってみましたが・・・・思った以上に暗いし、人もほとんど居ない(笑)。
まあ、祭りの会場としては端っこも良い所ですし、山車が練り歩くコースからも外れてますからねえ。
ちなみに、この大鳥居は高さが15メートルもあり、木造では関東で最も大きく、扁額も勝海舟の筆とのこと。
(調べた所、関東だと、大宮氷川神社の大鳥居が13メートルで、明治神宮の大鳥居が12メートルだそうです)



それでも神社の中に入れば、回廊などはライト・アップされていて、結構きれい。
最初は、本来主役の氷川神社に人が少なくて、ちょっと寂しい思いもあったものの、
こうした風景を独り占めできるのも、これはこれである意味で贅沢なのかな?(笑)



とはいえ、絵馬に囲まれた参道の方は、ライト・アップの光もあまり届かず、
周囲を覆う圧倒的な絵馬の量が、暗闇の怖さをちょっと助長してます・・・・
以前、昼間に訪れた時には、この絵馬も却って良い感じだったんですけどねえ。



彫刻で有名な本殿なので、龍の一木彫りを中心に据えるべく、
ちょっと変わったアングルから撮ってみましたが、
絵馬参道とは逆に、こちらは煌々とライト・アップされていたので、妙に明るすぎる写真に・・・・
まあ、デジカメの機能とかを把握していれば、暗かったり、明るかったりも対応できたのでしょうけども。




続いて、氷川神社に近い「川越城・本丸御殿」にも寄ってみましたが、
こちらは最低限のライト・アップすらされておらず、街灯程度で本当に真っ暗。
この川越城は関東七名城の1つに数えられ、太田道真・道灌父子によって築かれて以降、
戦国北条氏の時代は大道寺政繁が、3代将軍・徳川家光の時代は「知恵伊豆」こと松平信綱が、
歴代の城主を務めた程の城なのですが、市街地にある為、残されているのは本丸と一部の堀のみです。
ちなみに、一部残る堀や、水運で江戸の物流を支えた新河岸川や伊佐沼も一応は撮ったのですが、
こちらは街灯の光さえ無かった為に、何が写ってるかさえ不明な状態だったので消去しました(笑)。
堀も川も沼も日中に見れば、当時の雰囲気を少し感じられて、個人的には好きなポイントなんですけどね。




氷川神社に川越城と、ここまでは祭りの喧騒から完全に離れた写真ばかりなので(笑)、
山車が練り歩く蔵造りの町並みへと向かった所、まず見えてきたのは「時の鐘(鐘撞堂)」。
とは言え、こちらも建物自体はライト・アップされておらず、やはり写真だと暗い感じに・・・・
ちなみにこの時の鐘、まさに小江戸・川越のシンボル的な存在なのですが、
その一方で、札幌の時計台と並んで「がっかり名所」の1つとしても有名(笑)。
まあ確かに江戸時代なら、4階相当の高さからの眺望は、さぞや素晴らしかったのでしょうけども、
高層建築に見慣れてしまった私たちには、4階建てでは却って小さく見えてしまうもので・・・・



そしてようやく、祭りのメイン会場であるメイン・ストリートの北端「蔵造りの町並み」へ。
それにしても、ここへ来る途中にも感じましたが、周辺が車両通行止めになっているのが良いですね。
この道路は、埼玉県で第3の都市である川越市の中心を南北に貫く主要道路なので、
観光名所ではあるものの、いつもは車がバンバン走ってて結構危ないんですよ・・・・
それに、古くからの町並みが残るという事は、道幅も昔のままなので、本当に狭いんです。
ですので、地元住民にすれば大反対なのでしょうが、観光客としては歩行者天国はありがたいんですよね。



南側へと向きを変えて、「蔵造りの町並み」をもう1枚。
月と蔵との対比がとても綺麗だったのですが、写真に収めると正直微妙ですね・・・・
とは言え町並みの方は、昼間よりも夜の方がグッと雰囲気が増す印象。
日中だと、古さからくる汚さと生活感が見えるので、ここまで幻想的には行きません(笑)。
街道沿いに連なる黒塗りの蔵が、街灯に照らされ、良い感じに輝いて見えました。
ただ残念なのは、私のデジカメ&撮影技術では、それをお伝え出来ない事ですね(泣)。




そうこうしてると町並み南側の向こうに、この祭りの見どころである「山車」を発見!!
ここで簡単に山車について説明すると、1層目には大きな車が付いていて、
2層目では舞いや演奏が行われ、3層目には物見をする人が乗っていて、
4層目には弁慶や日本武尊など、おのおのの山車を象徴する人形が乗せられていると。
そして8メートル前後ある、これらの山車が、今年は市制90周年を記念して、
「全29台の山車」が勢揃いしていたそうです(例年は入れ替わりで15〜20台くらいなのだとか)。



せっかくなので、山車にもっと近づき、大正建築の洋館とセットで1枚。
ちなみにこの洋館、もとは「旧・八十五銀行本店」の本館で、現在も銀行の支店として使われています。
川越は「小江戸」と呼ばれるほど、以前は全国でも繁栄を誇っていた街だけあって、
江戸の雰囲気を今に残す「蔵造りの町並み」から一本、道を挟んだ通りには、
明治末から大正にかけて建てられた洋風建築の並ぶ「大正浪漫 夢通り」なんて所もあったりします。
更にその先には、西武線の本川越駅とJR&東武線の川越駅とを結ぶ現代の繁華街「サンロード」があるのですが、
駅に近づくほど人の混在も酷くなるので、ここらで足を止めて、まあ今回は小江戸方面をぶらぶらと(笑)。
大雑把に言えば、南側の現代エリア、中央部の大正エリアを諦め、北側の小江戸エリアだけに限定する具合です。



するともう1台、別の山車が登場したので、アップで2ショットをパチリ。
ピンボケしていて上手く撮れないのが、我ながら、もどかしい・・・・



もう1枚ついでに、引きで大正建築を含めての2ショットでパチリ。
洋館と山車との間にある見晴らしの良いテラスみたいな所に陣取っていたのは、
ごつい機材やカメラが見えましたから、多分どこかのテレビ局だったんでしょうね。
撮影ポイントとしては良い場所なのでしょうが、あいにく人混みが凄くて進みにくいので、
まだ人の少ない北側(小江戸方面)に行こうと、来た道をUターンして戻る事に。
ちなみに右側の山車は、そのまま前方(南側)に進んで消えて行きました。




ちなみにUターンすると、北側の方にも1台の山車が来ていたので、
空いているから近付けると、今度はそちらを見ようと思ったら・・・・


手前のT字路で急遽、90度右に方向転換。
「時の鐘」がある細い道へと入ろうとしていました。 う〜ん、残念。
あと、左側の蔵の2階部分が妙に明るいのは、ここにもテレビ局が陣取っていたからです。
こちらも、時の鐘と山車と蔵の町並みを、一緒に収められる絶好の撮影ポイントなんでしょうね。




まあ仕方ないと、再び洋館のあった南側へと向き直すと、
先程やってきた山車は前方へと姿を消し、代わりに「幸町」という提灯を掲げた山車が登場してました。
完全に忘れてましたけども、この山車って、川越市内の各町がそれぞれ所有しているんですよね。
どの「山車」も、今なら1億円以上の製作費が掛かっているなどと聞くと、
多くの山車が作られた江戸や明治の頃、「川越」という街がどれだけ繁栄していたのかを思い知らされます。
普通、町単位で持ってるなんて言っても、せいぜい「御神輿」くらいのモノですからねえ・・・・
(洋館テラスの撮影班は、こちらの方が左側にハッキリと写ってますね)



そして、幸町の山車が止まり、上の部分だけ方向転換を開始。
山車は1層目の車の部分を固定して、2層目以降が別途回転できる仕組みになっているんですね。
で、山車の向きを変えて何をするかと言いますと、これが川越祭りの見せ場「曳っかわせ(ひっかわせ)」です。
まあ簡単に説明しますと、山車同士が向かい合って、舞いや演奏を競い合わせるイベントですね。
別に勝ち負けは無いのですが、それで「如何に我が町が優れているか」をアピール合戦する感じだそうです。
(左下に小さく見える山車は、洋館で2ショットを撮った後に前進して消えてった1台です)



いま調べてみますと、方向転換を始めた右手前の山車は「幸町の小狐丸」という山車で、
それと向かい合おうとする左手奥の山車は・・・こちらも同じく「幸町の翁」という山車なのだとか!?
全29台ある山車のうち、この「幸町」だけが、なぜか2台の山車を所有してるんですね。
う〜ん、1つの町に2台の山車があるとは、以前きっと何かがあったんじゃないでしょうか?(笑)
そんな事とは露知らず「曳っかわせ」が始まるのを待っていると、急に後方から、にぎやかなお囃子の音が・・・・




振り返ってみると、すぐ後ろで既に「曳っかわせ」が始まってるじゃないですか!!
いや〜、前ばかりに注目していて、後方には動きには全く気が付きませんでしたが、
先程、時の鐘がある道へ入ろうとしていた山車が奥側に居るという事は、
恐らく、その細い道から手前側の山車が逆に出てきた事で、押し出されたんでしょうね。
後ろ側の方が人混みになっていないので、もっと近くで見られると、今度は私が方向転換(笑)。
あの時は、前方のが同じ町同士による因縁の曳っかわせだとは知りませんでしたからねえ・・・・
ちなみにこちらは、左手前が「西小仙波町の素戔嗚尊(スサノオ)」、右手奥が「喜多町の藤原秀郷」だそうです。



もっと近くで見たいと、回り込みつつ近づいてみます。



競い合わされる舞い、それを囃し立てる笛や太鼓の音、きらびやかな山車、
山車の周りに提灯を持って囃し立てる町の人々、そして背景に浮かぶは小江戸の町並み・・・・
そんな「曳っかわせ」の模様を、近くで撮影すると、こんな感じ。
うん、当然ながらこ、ぜんぜん雰囲気を表現なんて出来てませんね(笑)。
ちなみに、この「野球のボール」のような西小仙波町のマークは、何だか凄く気に入りました!!



更にちょっとズーム・アップして、こんな感じ。
・・・って、これじゃ本当に何も伝わらないなぁ(泣)。



もう、恥はかき捨てついでに、この時に撮った動画の方もアップします(笑)。
解像度の低い古いデジカメについてるオマケ機能で動画を撮影している時点で、目は瞑って下さい・・・・
画質が悪い他にも、光の帯が入ったり、中央部分にあるドット欠けが目立ったりしますが、
とにもかくにも、映像が動いて、音が付くだけでも、下手な写真より雰囲気が伝わるかと思い晒す次第です。
いや〜それにしても、ブログに写真を載せてる人って実は凄かったんだという続きで、
YouTubeとかに自分で撮影した動画を載せてる人って、これまたかなり凄いんだと再実感しました。



こうして曳っかわせも終わり、方向転換して去ろうとする右手奥の「喜多町の藤原秀郷」。
そして、左手前の「西小仙波町の素戔嗚尊」も、南側へ進むべく方向転換すると・・・・




おお、方向転換してきた西小仙波町の山車が目の前だ!!
こうして間近で見ると、やはり、そびえ立つ高さ8メートルの山車って大きいですねえ。
絢爛豪華な織物や彫刻に、幻想的な舞いと音色を伴った、2階建ての家より大きい山車が、
大勢の町衆と提灯の光に包まれながら動く姿を目前にすると、その迫力に本当に圧倒されます。



すると後方より、新たに他の山車が登場。
振り返って急いで撮ったので、当然のようにピンボケ(笑)。
ボケてて判明しにくいですが、どうやら「三久保町の源頼光」みたいです。



そして間を置かずに、再び曳っかわせが発生。
しかも今回は、たまたま突っ立ってた所の目の前で、運良く開始です。



単に、運良くポジションが恵まれただけですけども(笑)、
先程よりは、まだ多少は臨場感が伝わる写真になったでしょうか?



目の前で見る舞いは、本当に迫力満点だったのですが、
近くて動きが速い分だけ、当然ながらにピンボケ(笑)。
こういうのこそ動画に収めるべきかと思いましたが、バッテリー残量がヤバい事が判明。
そう言えば、このデジカメ、最後に充電したのって何年前だっけ?・・・・




目の前ので曳っかわせも終わり、前進して私の前を去っていく「西小仙波町の素戔嗚尊」。
お〜、進んだ先(私から見て後方)でも、またすぐに曳っかわせをやってますね。
今回は全29台が揃う特別な祭りだという事を、この曳っかわせの発生頻度で何やら実感した気分です。



そんな感じで後方に気を取られていると、前方から山車が進んでくる音が!!
おお、今度は弁慶かぁ・・・・などと思った時には、既に目の前で、
急いで撮ったものだから、案の定ピンボケ(もう慣れっ子で諦めの境地に)。
ちなみに、この山車は「志多町の弁慶」だそうです。



すると後方からも、同じように山車がこちらへと向かってくる音が!!
弁慶の時以上に急いで振り返り撮り、ある意味ここまで来ると芸術的なピンボケに(笑)。
「山車の明るさとスピード感を、それに照らされた黒塗りの蔵という静物との対比で・・・」などと、
あとから、それっぽい理屈をこね繰り付ければ、それっぽく見えなくもないですし(笑)。



とは言え、やはりちゃんと撮りたいと、少し先回りして再挑戦。
いや、まあピンボケは無くなりましたけども、写真としての面白味に欠けますね・・・・




・・・・って、よく見ると、山車が掲げた提灯に「幸町」とあるって事は、
最初の方で曳っかわせを見損ねた「幸町の小狐丸」が、ここまでやって来たって訳ですね。
そうか、後方で西小仙波町の山車と曳っかわせをしていたのは、あの幸町の山車だったのかと、
何やら小さな因縁を感じつつ、目の前で起きるであろう弁慶の山車との曳っかわせを期待していたら・・・・



「志多町の弁慶」が目の前で停止したので、てっきり曳っかわせが始まるかと思いきや、
その期待を裏切るかのように、「幸町の小狐丸」は弁慶をスルーして、そのまま前進!!
はい、「幸町の小狐丸」との小さな因縁なんてモノは、どうやら存在しなかったみたいです(笑)。




ただ、「幸町の小狐丸」の山車が通り過ぎたすぐ後に、後方よりまた別の山車が登場。
なるほど、幸町の山車が弁慶をスルーしたのも、これが理由だったんですね。
あそこで曳っかわせを行っていたら、狭い道の後方で山車の渋滞が発生していたでしょうから。



こうして、後方より新たに表れた山車は「宮下町の日本武尊(ヤマトタケル)」だそうです。
この頃になると、たまたま私が居た場所が、曳っかわせの多発ポイントみたいになっていて、
最初はそこまでだったのがが、気が付いた頃にはかなりの人混みになっており、撮影もしにくくなってました。
また、それに加えて、バッテリー残量との別の戦いも進行中という状況でして・・・・



それでも、まあ、目の前で行われる曳っかわせは迫力満点ですからねえ。
ただし、この曳っかわせはあっさり終了し、日本武尊の山車はそそくさと前進して行きます。




それもそのはず、日本武尊の後ろには、更にもう1台の山車が待ってたんですね。
う〜ん、だから例年が15〜20台なのは、山車の数を適正にする為の制限処置なのかも?



そして弁慶の山車は、続いて「大手町の鈿女(ウズメ)」の山車ともう一舞い。
で、もう山車は十分堪能したし、人も増えてきたし、デジカメのバッテリーも無いしと、
この曳っかわせを見終わったところで、帰宅の途に就くことにしました。


最後にもう1枚、引きで蔵の町並みを背景にパシャリ。
写真の方はアレでしたが、祭り自体は本当に楽しめたと思いながら、
帰りの道の方へと歩みを進めていると・・・・・




前方の交差点で、山車の大渋滞が発生中!!(笑)
十字路の四方に山車が止まり、ある所では一方面で2台の山車が並ぶ有り様で、
配置的に、1度に全ては撮影できないものの、この時は6台の山車が集結してました。
近くに居た地元の人も、「こんな光景はなかなか見られない」と言うほどの混雑ぶりでしたね。



もうこうなると、山車が2台も横並びしている方向には、対面の山車も通り抜ける事ができません。



しかもこの状況で、交差点の中央スペースを使って、山車が前に出て曳っかわせを行うものだから、
前を突っ切って通るという事も出来ず、完全に立ち往生となってしまいました。



ただ、こうして山車が中央スペースに進み出た時には、その後方に抜け道が発生する事が解ったので、
遠回りになるけども、そちら方面へ抜け出ようとしたら・・・・そちらの方向から、
「下がってください、下がってください」とか、「もう1台来たぞ〜」などの声と共に、
新たな1台が更に渋滞交差点へと突っ込んできて、計7台となり交差点は完全に封鎖状態に・・・・



もうここまで来ると笑えて来て、「6台ですら稀なら、7台はもう無いだろう」と腹を括り、
この超大渋滞が終わり、無事に通れるようになるまで、こちらも付き合う決心をしました(笑)。
ただ残念なのは、それだけのレア・ケースに立ち会えたのに、
バッテリーがほぼ切れていて、ほとんどまともに写真が撮れなかった事ですね。
数少ない写真も、バッテリー切れとの格闘で、急いで取る必要があり、ピンボケもしてますし。
って、本当であれば、こういうレア・ケースこそ動画に収めたかったですね・・・・




と、まあ、最後は何だかグダグダな感じで終わりましたけども(笑)、
写真や動画がうまく撮れなかっただけで、祭り自体はかなり堪能しました!!
実を言うと、川越には何度か行った事があったものの、「川越まつり」の方は初体験でしたが、
いつもなら必ず立ち寄る「喜多院」などの寺社や、博物館・美術館などに行かずとも、
この祭りだけで今回は十二分に満喫できましたね(サブカル系の万代書店には少し寄りましたけども・笑)。
今回は小江戸エリアで見ましたけども、大正エリアや現代エリアでも、また違った趣になるですかねえ?

ちなみに、この「川越まつり」。
もう350年以上も続く祭りだそうで、もとは江戸神の神田祭に影響を受けて始まったそうですが、
(徳川家光の右腕だった松平信綱が川越藩主の時に、川越大火からの復興を期して始まったらしいです)
徳川家と関係の深い祭りだった事から、本家の神田祭は明治維新が起きるとと肩身が狭くなり、
更には電信柱や路面電車などで電線が張り巡らされると、山車を曳くのも物理的に不可能となり、
そこへ追い打ちのように起きた関東大震災や東京大空襲で、残されていた山車も全て全焼したのだとか・・・・
一方で、川越の方は東京ほど締め付けが強くなく、蔵造りにより火事にも強い街が出来ていたので、
こうして現代まで、この規模の山車が繰り出す祭りが存続したらしいです。
そう言われると、これだけ日本が豊かになったのなら、山車が復活した神田祭とかも見てみたいですね(笑)。


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