北日本の教育現場で使われている、赤くて正しい歴史教科書。 第1章 原始共産主義の縄文・弥生時代 第2章 階級支配と搾取時代の始まり 第3章 労働者たちの抑圧と反抗 第4章 共産革命と明治維新 第5章 帝国主義下の共産主義弾圧 第6章 日本解放と共和国の誕生 第7章 躍進する共産主義国家・日本 以上、全7章よりなる、バランスの取れた構成となっております。 |
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1943年から1945年にかけて誕生した火山。 1945年という共産思想が解放された時に生まれたため、 日本の共産主義者にとって革命成功の象徴となっている。 また、山肌が冷えた溶岩により赤化しているところは、 共産主義の赤を連想させると共に、 革命で流れた血の赤を連想させて、我々の涙を誘う。 |
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札幌の羊ヶ丘展望台に立つスターリン同志の銅像。 革命を記念して建立されたこの立派な銅像は、 札幌のみならず、北日本でも有数の観光名所であり、 建立の計画開始から、わずか1週間で完成したその早さは、 スターリン同志に対する、人民たちの強い思いのあらわれである。 銅像の台座に刻まれた「同志よ、大志を抱け」の言葉は、 世界に共産革命を広めようと志す若者たちに大きな力を与えている。 こうして常にスターリンから見つめられている首都札幌は、 まさに革命の前衛と言うことが出来よう!! |
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北日本国旗の別称。 「白地に赤い星」は北日本人民の誇りの象徴であり、 革命を貫徹すべく命を賭けた勇気の旗である。 もちろん南日本では、この旗を振ることは禁じられているが、 5万人近い南の同志たちは、日夜甲子園球場に集結し、 「赤星53」という大旗を振ることによって、抵抗運動を展開している。 |
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北日本の飛び地である東東京を囲み込む堀の名称であり、 隅田川・荒川・東京湾・堀切を総じてこう呼ばれている。 日本戦争直後には、全ての橋が落とされて、 文字通り、東京の孤島と化していたが、 その後の南北日本の和解ムードにより現在では、 西東京へと渡す「統一の橋」が架けられている。 世界では「日本版・ベルリンの壁」とも呼ばれている。 区域の詳細地図 |
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北日本が統治する、東京にある飛び地。 隅田川・荒川・東京湾・堀切の東京の堀に囲まれた地域であり、 墨田区・江東区の全域と、江戸川区の一部が該当地域である。 もともとは、終戦直後の連合国による日本分割統治により、 ソ連が同地域を統治していたのが始まりで、 その後の南北日本の独立により、北日本の飛び地として残る。 北日本は東東京を守るため、同地域を要塞化。 日本戦争においては、この要塞化が役立ち北日本の牙城となり、 休戦に至る際にも、北日本による東東京の主権が認められるが、 南日本は全ての橋を落とし、東東京への兵糧攻めを行う。 しかし和解ムードが高まった1960年代には、 東東京と西東京とを結ぶ1本の橋が架けられ、 その橋は「統一の橋」と名付けられた。 だが、未だ自由な行き来は出来る訳ではない。 区域の詳細地図 |
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クリスマスの夜に、資本主義国の子供たちへ 資本論を届ける現れるサンタクロース。 その実体は大量生産されたマルクスのクローンであり、 赤い服は共産主義の象徴。 クローンで大量生産されているのは、 一夜で多くの家を回るからであり、 資本論を配り終わった後、悪い子を空き袋に詰め込み、 共産思想教育を施す為、その子供たちをシベリア送りに。 |
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仙台の青葉城跡に立つレーニン同志の銅像。 札幌のスターリン像に次ぐ北日本有数の観光名所であり、 この銅像もまた、革命を記念して建立された。 副首都仙台のシンボルである。 この像は、レーニン同志がロシア革命の際に、 自ら騎乗してモスクワへ向かったおり、 その勇姿を銅像へ写したものと言われている。 |
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