愛國戦隊大日本[アイコクセンタイ ダイニッポン]
赤い恋人[アカイ コイビト]
赤い歴史教科書[アカイ レキシ キョウカショ]
赤かまぼこ[アカ カマボコ]
赤門ラーメン[アカモン ラーメン]
New浅沼稲次郎[アサヌマ イネジロウ]
アメリカ合衆国[アメリカ ガッシュウコク]
安藤昌益[アンドウ ショウエキ]
アンドロポフ米[アンドロポフ マイ]
安保反対運動[アンポ ハンタイ ウンドウ]
元山[ウォンサン]
ウラジオストック[ウラジオストック]
New栄養分析表[エイヨウ ブンセキ ヒョウ]
榎本武揚[エノモト タケアキ]
蝦夷共和国[エゾ キョウワコク]
奥羽越列藩同盟[オウウエツ レッパン ドウメイ]
大阪革命運動[オオサカ カクメイ ウンドウ]
恐山[オソレザン]
解放記念日[カイホウ キネンビ]
革命新山[カクメイ シンザン]
New球根栽培法[キュウコン サイバイ ホウ]
共産党内紛[キョウサントウ ナイフン]
皇居[コウキョ]
国家主席[コッカ シュセキ]
コルホーズ[コルホーズ]
在南米日本人[ザイ ナンベイ ニッポンジン]
札幌[サッポロ]
札幌オリンピック[サッポロ オリンピック]
札幌ドーム[サッポロ ドーム]
37度線[サンジュウナナド セン]
JKGB[ジェー ケー ジー ビー]
四国省[シコクショウ]
白河[シラカワ]
人民作家[ジンミン サッカ]
人民理化学研究所[ジンミン リカガク ケンキュウジョ]
スターリン[スターリン]
スターリン像[スターリン ゾウ]
征途[セイト]
赤虎隊[セキコタイ]
赤星旗[セキセイキ]
赤報隊[セキホウタイ]
仙台[センダイ]
ソウル[ソウル]
ソヴィエト社会主義共和国連邦[ソヴィエト シャカイシュギ キョウワコク レンポウ]
大韓民国[ダイカン ミンコク]
脱南者[ダツナンシャ]
田中角栄[タナカ カクエイ]
チェ・ゲバラ[チェ ゲバラ]
千島列島[チシマ レットウ]
中華人民共和国[チュウカ ジンミン キョウワコク]
中華民国[チュウカ ミンコク]
朝鮮戦争[チョウセン センソウ]
朝鮮民主主義人民共和国[チョウセン ミンシュシュギ ジンミン キョウワコク]
ドイツ民主共和国[ドイツ ミンシュ キョウワコク]
統一の橋[トウイツ ノ ハシ]
東京オリンピック[トウキョウ オリンピック]
東京御所[トウキョウ ゴショ]
東京の堀[トウキョウ ノ ホリ]
東北人民大学[トウホク ジンミン ダイガク]
東北人民レッドイーグルス[トウホク ジンミン レッド イーグルス]
徳田球一[トクダ キュウイチ]
奈良[ナラ]
新潟[ニイガタ]
西東京[ニシ トウキョウ]
日本共産党(国際派)[ニッポン キョウサントウ(コクサイハ)]
日本共産党(主流派)[ニッポン キョウサントウ(シュリュウハ)]
日本人民解放軍[ニッポン ジンミン カイホウグン]
日本戦争[ニッポン センソウ]
日本プラウダ[ニッポン プラウダ]
日本分割統治[ニッポン ブンカツ トウチ]
日本民主主義人民共和国[ニッポン ミンシュシュギ ジンミン キョウワコク]
野坂参三[ノサカ サンゾウ]
パイプライン[パイプ ライン]
袴田陸奥男[ハカマダ ムツオ]
函館[ハコダテ]
東東京[ヒガシ トウキョウ]
平壌[ピョンヤン]
フルシチョフ米[フルシチョフ マイ]
ベレンコ中尉事件[ベレンコ チュウイ ジケン]
北海道革命ファイターズ[ホッカイドウ カクメイ ファイターズ]
北海道人民大学[ホッカイドウ ジンミン ダイガク]
マルクス・サンタ[マルクス サンタ]
満洲社会主義連邦共和国[マンシュウ シャカイシュギ レンポウ キョウワコク]
南樺太[ミナミ カラフト]
南日本大学共産主義連合会[ミナミニホン ダイガク キョウサンシュギ レンゴウカイ]
New宮本顕治[ミヤモト ケンジ]
モスクワ[モスクワ]
大和民国[ヤマト ミンコク]
友好の海[ユウコウ ノ ウミ]
郵政民営化[ユウセイ ミンエイカ]
琉球自由国[リュウキュウ ジユウコク]
レーニン像[レーニン ゾウ]
労働野球リーグ[ロウドウ ヤキュウ リーグ]
ロッキード事件[ロッキード ジケン]
渡辺恒夫[ワタナベ ツネオ]


愛國戦隊大日本[アイコクセンタイ ダイニッポン]
南日本で、児童の反共教育に用いられている映像教材。
いわゆる戦隊モノの形態をもって児童たちの関心を惹かせ、
知らず知らずのうちに反共戦士として育て上げている恐るべき洗脳教育の一環。
フランス人におけるフランス・ファイブ
木連人におけるゲキガンガーのような存在である。

我々が独占入手したFLASHがこちらであり、
更に南日本は、ネットでこのように配信までしている。
 

赤い恋人[アカイ コイビト]
札幌の名産品であり、全国でも最も知名度が高いお土産品。
ソ連から輸入された小麦粉と、キューバから輸入された砂糖・カカオを使い、
薄く焼かれた2枚のクッキーの間に、チョコレートを挟み込み、
更に北朝鮮から輸入された唐辛子の粉末がたっぷりまぶしてあり、
甘みと辛みとが同時に味わえる真っ赤かな一品。

世界各地の共産国家から得た材料を使い作られたこの銘菓は、
まさに「赤い恋人」と呼ぶに相応しく、
世界中の同志に大人気のお菓子である。
 

赤い歴史教科書[アカイ レキシ キョウカショ]
北日本の教育現場で使われている、赤くて正しい歴史教科書。

  第1章 原始共産主義の縄文・弥生時代
  第2章 階級支配と搾取時代の始まり
  第3章 労働者たちの抑圧と反抗
  第4章 共産革命と明治維新
  第5章 帝国主義下の共産主義弾圧
  第6章 日本解放と共和国の誕生
  第7章 躍進する共産主義国家・日本

以上、全7章よりなる、バランスの取れた構成となっております。
赤い歴史教科書

赤かまぼこ[アカ カマボコ]
仙台の名産品。
仙台の観光名所であるレーニン像の焼き印が押され、
赤い着色料をたっぷり混ぜ込んだ「笹かまぼこ」。
世界中の共産革命家がひっきりなしに買い求め、人気の高い一品。
 

赤門ラーメン[アカモン ラーメン]
西東京に潜伏している北日本の工作員が、
南大連と協力しながら、安田講堂の地下で製造されているラーメン。
真っ赤なスープが共産主義者に喜ばれ、
世界では「レッドゲート・ヌードル」と呼ばれているらしい。

安田講堂と言う共産主義者の聖地と言う立地と、
賢いが騙されやすい東大生を、大量に共産化教育しやすい環境の為、
北日本による工作活動の一大拠点となっていると言う。
またこのラーメンの売り上げは、
第二次安田講堂籠城作戦に向けて蓄えられている言う噂も。

このラーメンは、安田講堂の地下にある食堂に於いて本当に食べる事が出来、
味・値段ともに実際の評判も良い。
 

浅沼稲次郎[アサヌマ イネジロウ]
大きな体格で精力的に遊説を行い、清貧で調和を好んだ姿勢が庶民から愛され、
「人間機関車」「演説百姓」などと呼ばた社会主義者。

戦前から社会主義者である一方で、熱烈な天皇信奉者でもあり、
戦前には、軍部との協調路線による国家社会主義路線を支持した。
終戦直後には、日本社会党の結成に参加し、
中間派の人物として、社会党内の右派と左派の調和を計る一方で、
結党大会で「天皇陛下万歳」と三唱して、社会党員から批判される。

1960年、社会党委員長として挑んだ衆議院選挙の折り、
党首立会演説会に参加した浅沼は、壇上で右翼少年に刺殺される。
社会党と共産党との共闘路線も積極的に進める一方で、
穏健なる社会主義変革路線を指向していただけに、
あらゆる方面から、浅沼の暗殺による死は悔やまれたと言う。
 

アメリカ合衆国[アメリカ ガッシュウコク]
悪の象徴。悪の帝国。諸悪の根元。
帝国主義を振りかざし、
南日本韓国をはじめ世界各国を毒牙に掛けている。
世界中の混乱は全てこのアメリカの陰謀に起因し、
アメリカの陰謀を打ち砕き、世界を赤く染め上げる事こそが、
我々共産主義者に課せられた使命である。
 

安藤昌益[アンドウ ショウエキ]
江戸中期に実在した思想家。
1703年に今の秋田で生まれ、東北地方に於いて医師として活躍する一方、
身分や階級の差別を否定し、自然主義を中心とした思想家としても活躍。
彼の思想は、共産主義や農本主義などにも通じており、
後に、彼の思想に触れたレーニンをもうならせたと言う。

その為
北日本では、東北地方で活躍した事もあり、
彼を日本に於ける共産主義の始祖と崇め、
独自の暦として、彼の生まれた1703年を「昌益元年」と定めた年号を
建国50年を記念して、1997年より使用している。
 

アンドロポフ米[アンドロポフ マイ]
1984年に、人民理化学研究所で開発された米の品種名。
正式名称は「人民64号」であるが、
一般的には当時のソ連指導者の名を取り「アンドロポフ米」と呼ばれている。
通称で「安保米」とも呼ばれ、食糧難に喘ぐ南日本がこれを輸入する際には、
南の国粋主義者たちにより、安保反対運動が起きた。

特徴としては、おいしいうえに、生産が楽ということで、
北日本のみならず、食糧事情に困っていたアフリカの共産国家で特に重宝されている。
世界の飢餓をなくし、世界の労働者を結びつける、まさに理想的な米である。
 

安保反対運動[アンポ ハンタイ ウンドウ]
1993年の冷夏により、南日本が異常気象で米不足に陥った際、
北日本が同胞を救おうと、アンドロポフ米(通称:安保米)の輸出を決定。
それに対して南の国粋主義者たちが、反北を叫んでそれを阻止しようとした運動。
 

元山[ウォンサン]
友好の海(旧日本海)に面した北朝鮮の貿易港。
北朝鮮で産出される稀少金属は、ここを通じて北日本新潟へと輸出されている。
 

ウラジオストック[ウラジオストック]
友好の海(旧日本海)に面したソ連の貿易港。
北日本新潟から輸出される精密機械の品々は、
ここで水揚げされ、シベリア鉄道に運ばれモスクワなどに運ばれる。

また、ウラジオストック函館を結ぶラインは、
軍事的・経済的な重要性からも、大変堅く守られていて、
自由主義陣営からは「東の鉄のカーテン」と呼ばれている。
 

栄養分析表[エイヨウ ブンセキ ヒョウ]
「革命を貫徹する為に、先ずは健全なる身体を!!」と言った主旨から、
球根栽培法」と共に、南日本の左翼学生に愛読されている書物。
様々な食品の栄養表が事細かに記載された書物であり、
これを読むと革命闘争に向けて「爆発」的な力を得る事が出来ると言う。
 

榎本武揚[エノモト タケアキ]
江戸末期から明治時代にかけて活躍した人物。
もともと幕臣であった彼は、幕府の開国政策と共にヨーロッパへ留学。
そこで共産思想に触れて、日本人第一号の共産主義者となる。

その後、討幕運動の進む日本へ帰国すると、
新政府軍に敵対し、
奥羽越列藩同盟に加勢する。
会津では多くの若者に共産思想を教育し、赤虎隊にも大きな影響を与えたと言う。
しかし新政府軍の攻勢により北に追い込まれると、
北海道に渡り、函館において「蝦夷共和国」を建設。

だがこの共和国も新政府軍によって滅ぼされると、
死を覚悟した榎本武揚は、敵将の黒田清隆に対して、
「これを新たな日本に役立ててくれ」と
「万国海律全書」と「資本論」を渡したエピソードは有名。
ただし南日本では、資本論を手渡した事は削除されているという。
 

蝦夷共和国[エゾ キョウワコク]
榎本武揚によって作られた、日本初かつ世界初の共産国家。
共産国家の誕生を恐れた欧米列強は、日本の新政府軍に助力し、
この共産国家を滅ぼし、共産国家であった証拠をも抹消した。

現在、世界ではこの国が世界初の共産国家であった事は知られていないが、
北日本の科学的歴史調査により、その真実が明らかになった。
 

奥羽越列藩同盟[オウウエツ レッパン ドウメイ]
蝦夷共和国の誕生母体ともなった同盟体。
もともとは幕末時に、新政府軍に対抗すべく東北や新潟の諸藩が同盟したものだが、
ヨーロッパより共産思想を持ち帰った榎本武揚の参加により、
共産革命的な色合いも持ち合わせた団体となった。
赤虎隊の悲劇は特に有名である。
 

大阪革命運動オオサカ カクメイ ウンドウ]
南日本の大都市・大阪で起きた共産革命運動。
近年では、2003年9月15日と2005年9月29日に勃発している。
六甲革命歌を歌い、「赤星53」という南日本版の赤星旗を振る集団に対し、
大阪の秘密警察は革命鎮圧を断行。
橋へと追いやられた革命家たちは、道頓堀へ飛び込み逃げることを余儀なくされた。

ちなみに、彼らが崇拝するマスコット「トラッキー」は、「トロツキー」を文字ったもの。
 

恐山[オソレザン]
世界でも人気の観光名所。
恐山にいるイタコたちは霊を呼び寄せる事が可能で、
世界中の国家指導者たちが訪れては、降霊したレーニンやスターリンに対して、
国の行く末について、様々な相談をしていくという。
 

解放記念日[カイホウ キネンビ]
1945年8月15日、ポツダム宣言を受け入れた事により大日本帝国は崩壊。
大日本帝国の統治下では、共産思想は弾圧を受けており、
多くの共産指導者も投獄・抑圧されていた事から、
大日本帝国の崩壊は、同時に共産主義の解放でもあった。

その為、
北日本では毎年8月15日を「解放記念日」として祝っている。
 

革命新山[カクメイ シンザン]
1943年から1945年にかけて誕生した火山。
1945年という共産思想が解放された時に生まれたため、
日本の共産主義者にとって革命成功の象徴となっている。

また、山肌が冷えた溶岩により赤化しているところは、
共産主義の赤を連想させると共に、
革命で流れた血の赤を連想させて、我々の涙を誘う。

革命新山

球根栽培法[キュウコン サイバイ ホウ]
「革命を貫徹する為には、先ずは健全なる精神を!!」と言った主旨から、
栄養分析表」と共に、南日本の左翼学生に愛読されている書物。
「農村で革命的な花を育てるには」や
「都市労働者にも育てられる美しい花」などの項目から成っており、
様々なシチュエーションで球根の育て方や、
何故球根を育てなければならないかなど理論付けがされており、
この書物の通り実行すれば、球根から美しい花へと革命的に育て上げる事が出来る。
 

共産党内紛[キョウサントウ ナイフン]
1950年、北日本の日本共産党が路線対立から、
徳田球一率いる主流派と、宮本賢治率いる国際派とに分かれ、
内紛を繰り広げた事件。
この内紛は、国際派南日本亡命で幕を降ろすこととなる。
 

国家主席[コッカ シュセキ]
北日本の最高指導者が呼ばれる通称。
実際には、立法府である人民最高評議会(国会に相当)の「人民最高評議会議長」が、
行政府の長である「人民政府総理大臣(首相)」職と、
国防軍の長である「人民軍最高司令官」職とを兼務した場合に呼ばれる名である為、
正式には北日本に「国家主席」と言う役職名はない。
 

皇居[コウキョ]
奈良にある御所のこと。
現在の南日本には、天皇の居住する奈良御所と、
皇太子の居住する東京御所とがあり、
断り無く「皇居」と言われれば、奈良御所の方を指す。
 

コルホーズ[コルホーズ]
北日本で行われている集団農場のこと。
人口比では、北日本は3000万人、南日本が9000万人と1:3の関係であるが、
こと農産業に関しては、米だけで見ても年産1000万トンと500万トンと言う2:1の比に。

これは北日本が、北海道・東北・新潟と広大な農地を確保できるというだけでなく、
フルシチョフ米アンドロポフ米などを開発した人民理化学研究所の尽力、
田中角栄北日本列島改造5ヶ年計画による効率的な大規模農場の建設、
そして何より、我らが労働者の汗と苦労のたまものである。

現在の北日本では、農業・牧畜業・水産業・林業のいずれもが、
自給率を100%から大きく越えているため、
そう言った資源の優良輸出国となっており、
特にあまり米が穫れない北朝鮮では、北日本フルシチョフ米が大人気である。
逆に南日本では、食糧の自給率は恐ろしく低く、ほとんどを輸入に頼っており、
このあたりも米帝に支配される要因となっている。
 

在南米日本人[ザイ ナンベイ ニッポンジン]
略称として、「在南」とも呼ばれる。
戦前・戦後に、ブラジルやペルー等の南米へ移民として渡った日本人の事。
一時は当地の国民としての日系人化が進むものの、
日本の南北分断による対立構造が、南米の日本人移民の世界へも飛び火。
思想や出身地により集団化及び対立化が生じた事により、
移民たちの間では、日系人ではなく在南米日本人だという考えを強くしている。

南日本系の在南たちは政財界に大きな影響力を持ち、
また北日本系の共産主義在南たちは、南米に於ける共産革命に対して援助を行い、
あのチェ・ゲバラも、彼らに匿われていた時期があると言われる。
 

札幌[サッポロ]
北日本の首都として国家機能が集中し、北日本で最大の都市である。
仙台と共に、北日本に2つしかない政令指定都市の1つである。

街には近代的な札幌ドームがあり、ここを本拠地とした労働野球リーグ
北海道革命ファイターズとコンサドーレ札幌の2チームが置かれ、
また、北日本で最も権威のある北海道人民大学も置かれている。

また、羊ヶ丘展望台のスターリン像札幌きっての観光名所であり、
銘菓である赤い恋人札幌の名物である。
 

札幌オリンピック[サッポロ オリンピック]
1972年に北日本札幌で開かれた冬季オリンピック。
冬季オリンピックとしては、アジアで初めて行われた大会であり、
友好国である世界の共産国家がこぞって参加した。
 

札幌ドーム[サッポロ ドーム]
2001年、第10次5ヶ年計画により完成したドーム球場。
最先端の科学力と技術力を用い、ドームでありながら天然芝のグランドを可能にし、
北海道革命ファイターズとコンサドーレ札幌とが本拠地として使用している。

現在、第11次5ヶ年計画によって、ドームの核シェルター化が進行中である。
これが完成すれば、札幌は立派な軍事都市としても生まれ変わるであろう。
 

37度線[サンジュウナナド セン]
北日本南日本とを分ける軍事境界線(国境)が、
およそ37度線に沿って形成されている為に、
軍事境界線を指して「37度線」の通称で呼ばれることも多い。
 

JKGB[ジェー ケー ジー ビー]
正式名称は「日本国家保安委員会」であるが、
一般的には、日本版KGBである「
JKGB」の名で有名。
北日本における公的な情報収集機間であり、
資本主義陣営では、諜報活動や破壊活動、革命や亡命の援助などを行い、
また国内では、反乱分子の摘発や治安の維持、
それに南北日本の軍事境界線警備などの任務も負っている。

近年では、脱南者の保護や大阪革命運動での工作活動などで活躍。
ちなみに初代長官はシベリア帰りの瀬島龍三であり、彼は未だ長官の座に就いている。
それにより「アメリカのフーヴァー、北日本の瀬島」と称されている。
 

四国省[シコクショウ]
戦後の日本分割占領によって、四国は中華民国によって統治されるが、
1949年に中華民国中華人民共和国との内戦に敗れ、台湾へと逃げ落ちた際、
四国は大陸反攻への大きな原動力になると、
四国の中華民国への編入が宣言され、四国省と命名される。

中華民国による四国統治は、旧日本人であった台湾人を中心に行われた為、
他の地域よりは比較的うまくいっていたものの、
流石に中華民国への編入は四国住民の反発が強く、国際社会もこれに強く反対した。
1951年7月以降、日本戦争が膠着化すると南日本アメリカの返還要求が強くなり、
1952年、南日本中華民国の間に日華平和条約が締結され、四国は南日本へと返還される。

四国省の歴史はわずか4年間であったものの、
その間に移住した中国人との問題は、
台湾本省人と大陸外省人との対立も絡み、四国では深刻な問題となっているが、
日本戦争時に中立である中華民国領であった事で、戦火から免れた側面も持つ。
 

白河[シラカワ]
北日本南日本の軍事境界線(国境)に位置する街。
昔より「白河の関」と呼ばれ、関東と奥羽を分ける分岐点にある地域であった。
「日本の白河」と言えば、アジア冷戦の象徴として使われる言葉である。
 

人民作家[ジンミン サッカ]
人民の情操教育に良いと、北日本政府が認定した作家のこと。
人民作家第1号は小林多喜二。
現在までに7人が人民作家に認定されているが、
最近では、山形生まれの井上ひさしが、これに認定されている。
 

人民理化学研究所[ジンミン リカガク ケンキュウジョ]
戦前は、理学・工学に関して
基礎研究から応用研究まで行なった日本で唯一の自然科学の総合研究所で、
研究成果を自ら産業に活かして経済活動を行った為に、理研コンツェルンとも呼ばれ、
現在で言う産官学一体の理想的研究組織でり、科学者の楽園と言われた。

戦後、連合国軍によって解体を命じられるも、
戦前より理研と深い関わりを持っていた
田中角栄により、
北日本の地で理研は再建され、
この科学者の楽園は、北日本躍進の大きな原動力となった。
 

スターリン[スターリン]
第二次世界大戦の前後に、ソ連を指導した人物。
大戦後は、世界へ向けて共産革命の普及に尽力し、
世界で多くの人民が、幸せな生活を送れることに大きく貢献した。
まさに歴史的な偉人と呼んでも差し支えないであろう。

日本においても、北日本の独立に多大なる助力を行い、
千島列島や南樺太の返還にも、心置きなく応じてくれた。
地上に降り立った天使ではないかと思いたくなる程の聖人君子。
 

スターリン像[スターリン ゾウ]
札幌の羊ヶ丘展望台に立つスターリン同志の銅像。
革命を記念して建立されたこの立派な銅像は、
札幌のみならず、北日本でも有数の観光名所であり、
建立の計画開始から、わずか1週間で完成したその早さは、
スターリン同志に対する、人民たちの強い思いのあらわれである。

銅像の台座に刻まれた「同志よ、大志を抱け」の言葉は、
世界に共産革命を広めようと志す若者たちに大きな力を与えている。
こうして常にスターリンから見つめられている首都札幌は、
まさに革命の前衛と言うことが出来よう!!

羊ヶ丘のスターリン像

征途[セイト]
南日本で人気の架空戦記小説。
史実のように、日本列島は北日本南日本とに分断される事無く、
日本はアメリカに単独占領され、朝鮮半島が38度線で分断される架空世界の設定。
ストーリーは、南北朝鮮の戦争によって引き裂かれた兄弟の悲哀を表しており、
これは韓国に於いて「ブラザーフッド」の名で映画化もされている。
 

赤虎隊[セキコタイ]
南日本では「白虎隊」の名で知られる。
戊辰戦争のおり、15歳から17歳の会津藩士により作られた部隊で、
会津が戦火に包まれ、城が落城したと思われた時、
赤虎隊の若者20名が自刃して果てた。

南日本でも有名な赤虎隊(白虎隊)であるが、
彼らが榎本武揚によって共産思想に託された同志であり、
自刃した際にも、資本論の写しを持っていた事は、
南日本ではあまり知られていない。

しかし北日本では、彼らの革命魂に敬意を評して、
白虎隊ではなく、赤虎隊と呼んでいる。
 

赤星旗[セキセイキ]
北日本国旗の別称。
「白地に赤い星」は北日本人民の誇りの象徴であり、
革命を貫徹すべく命を賭けた勇気の旗である。

もちろん南日本では、この旗を振ることは禁じられているが、
5万人近い南の同志たちは、日夜甲子園球場に集結し、
「赤星53」という大旗を振ることによって、抵抗運動を展開している。

日本民主主義人民共和国国旗

赤報隊[セキホウタイ]
幕末に結成され共産革命を志した部隊。
年貢の半減や共産制度の構築などを宣言し、人民の平和を願い行動するも、
協力関係にあった新政府により、偽官軍の烙印を押されて討伐を受ける。

新政府側にも共産主義者が参加したこの事実は、
都合悪いせいか、
南日本ではタブーとなっている。
 

仙台[センダイ]
北日本の第2の都市であり、副首都と制定されており、
首都である札幌と共に、北日本で2つしかない政令指定都市でもある。

労働野球リーグでは、東北人民レッドイーグルスとベガルタ仙台の2チームが本拠地とし、
北日本には2つしかない人民大学の1つ、東北人民大学が置かれている事からも、
この副首都の重要性が分かるというものである。

また、青葉城跡のレーニン像仙台きっての観光名所であり、
笹かまぼこにレーニンの焼き印が押された「赤かまぼこ」は仙台の名物である。
 

ソウル[ソウル]
以前は韓国の首都であったが、
朝鮮戦争により北朝鮮が朝鮮半島を統一すると、
北朝鮮は、平壌からソウルへ首都をと移した。
 

ソヴィエト社会主義共和国連邦[ソヴィエト シャカイシュギ キョウワコク レンポウ]
略称として、「ソ連」「ソヴィエト」とも呼ばれる。
ロシア革命の時代より、共産革命の本家本元たる国家。
第二次世界大戦後、世界へ向けて革命思想を普及した、
人類史上に於いて、最も優れた国家と言っても過言ではないだろう。

現在では、国家構造に老朽化が見え、
東ドイツ北日本により支えられている状況であるが、
今まで共産諸国をリードしてきたその国力は未だ健在。
80年代後半から90年代に掛けての、
ゴルバチョフやエリツィンと言った書記長たちの失策と
アメリカによる扇動報道によって、
西側諸国ではソ連崩壊説が信じられているが、それは真実ではない。
 

大韓民国[ダイカン ミンコク]
略称・通称として、「韓国」「南朝鮮」「済州島政府」とも呼ばれる。
米帝の支配下に置かれた朝鮮半島南部の傀儡国家。
日本共和国は韓国を非正統政府として扱い、
北朝鮮による半島統一を支持している。

以前は朝鮮半島の北緯38度以南を統治していたが、
日本戦争に連動して勃発した朝鮮戦争で、
金日成が半島南部の急襲に成功し、北朝鮮は半島全土を統一。
結果韓国は、アメリカの制海権に守られつつ、
現在では済州島を統治するのみに終わっている。
 

脱南者[ダツナンシャ]
南日本での搾取生活に耐えきれず、北日本へ亡命した労働者のこと。
アメリカ傀儡のもと、悪政の限りを尽くす南日本は、
一般労働者にとってまさに地獄のような環境であり、
地上の楽園である北日本へ亡命するのは、至極当然のことである。

脱南者の亡命の仕方は数種類あるが、
特に多いのは、東京の堀を泳いで渡り東東京に達する手段か、
南日本軍の監視の目を逃れて、白河を越える手段である。
どちらも大変な手段ではあるが、その数は増えるばかりである。

その理由はもちろん、南北日本での生活環境の格差にある。
具体的な差に関しては、「国家情報・国内政策の項」を参照のこと。
 

田中角栄[タナカ カクエイ]
北日本列島改造5ヶ年計画により、北日本を大躍進させた指導者。

貧しい農家から身を起こし、戦前には若くして建設会社社長となるも、
戦後に地元へ一時帰郷していた際、北日本が独立。
これ以降は、忠実なる人民の一員として、政府の建設行政に参加し、
1950年の共産党内紛日本戦争による北日本政府の人材枯渇から、
角栄も政府の中枢へと抜擢される。

その後はトントン拍子で出世を重ね、ついには15年間空白だった国家主席に就任。
戦前より関係の深かった理研を、人民理化学研究所として再興させ、
北日本列島改造5ヶ年計画では、北日本を大いに躍進させた。
死後10年以上経つも、今だ崇拝の対象となっている偉大なる共産指導者である。
 

チェ・ゲバラ[チェ ゲバラ]
キューバ革命の英雄。
革命の成功後に工業大臣などを歴任し、1959年には政府の一員として訪日。
北日本では、キューバ代表として両国の国交樹立させ、
続いて訪れた南日本では、広島を訪れて原爆被害者を追悼。
その時ゲバラは、このような残虐行為を行ったアメリカを痛烈に非難すると共に、
そんなアメリカの言いなりになっている南日本へも苦言を呈した。

また、後にキューバを離れボリビアなどで革命闘争を行った際には、
在南たちが追われるゲバラを匿ったとも言われている。
 

千島列島[チシマ レットウ]
根室岬からカムチャッカ半島へ向けて連なる列島群。
第二次世界大戦末期には、
ソ連がこれを領有することをアメリカも承諾し、
戦後直後はソ連領となるも、
北日本の独立に際し、南北の国力の差を考慮したスターリン同志により、
千島列島は南樺太と共に、日本へと無償返還される。
 

中華人民共和国[チュウカ ジンミン キョウワコク]
毛沢東の中国共産党により作られた共産国家。
中国の国共内戦に勝利し、
中華民国を台湾へ追いやり中国本土を統一。
中国唯一の正統政府を自認し、常に台湾の回収を目論んでいる。

当初こそは、同じ共産国家として北日本などとも関係が深かったが、
ソ連との対立やヴェトナムへの侵攻など、
実状は、共産主義の皮を被った帝国主義国家であることが分かると、
次第に関係も悪化していった。
 

中華民国[チュウカ ミンコク]
もともとは中国全土を支配下に治めた国家であったが、
中国共産党の作った
中華人民共和国の勃興により、台湾へと追いやられる。

しかし大陸反攻を目論む中華民国の指導者・蒋介石は、
当時、中華民国の占領担当地域であった日本の四国を、自国領へ編入することを宣言。
これは世界中からの非難を浴び、特に日本戦争の休戦後は南日本アメリカの強い抗議を受け、
3国間の軍事同盟締結を条件に、四国省南日本へ返還。

現在は、中国本土から逃げのびて来た外省人ではなく、
第二次世界大戦以前より台湾に住んでいた本省人へと、国の指導者層が移る過程にある。
 

朝鮮戦争[チョウセン センソウ]
1948年、日本戦争が勃発した時、
北朝鮮の指導者・金日成が、それに連動して韓国へ侵攻するが、
アメリカは共産勢力からの防波堤として、南日本の守護を優先。
結果、アメリカの支援が薄かった朝鮮半島では、金日成が朝鮮半島を統一。

結果韓国は、済州島へと追いやられ、
朝鮮半島を統一した北朝鮮は、首都を平壌からソウルへと移した。
 

朝鮮民主主義人民共和国[チョウセン ミンシュシュギ ジンミン キョウワコク]
略称・通称として、「朝鮮共和国」「北朝鮮」とも呼ばれる。
1948年に朝鮮半島北部で誕生した共産国家。
金日成主席の指導により大変発展した国家であり、
日本共和国にとっても大変友好な関係にある国家でもある。

以前は朝鮮半島の北緯38度以北までしか統治していなかったが、
日本戦争に連動して勃発した朝鮮戦争で、
金日成が半島南部の急襲に成功し、北朝鮮は半島全土を統一。
結果韓国は、済州島へと追いやられ、
半島を統一した北朝鮮は、首都を平壌からソウルへと移した。
 

ドイツ民主共和国[ドイツ ミンシュ キョウワコク]
略称・通称として、「ドイツ共和国」「東ドイツ」とも呼ばれる。
ヨーロッパ共産革命の前衛であり、日本共和国の友好国でもある。
WW2では「世界一」と称えられた技術力をもとに科学的社会主義の繁栄に邁進し、
北日本と共にソ連を支え、革命を推進させる「車の両輪」と呼ばれていた。
しかしソ連が衰弱化した現在では、「ソ連の松葉杖」と揶揄されている。
 

統一の橋[トウイツ ノ ハシ]
東東京西東京とを分ける隅田川に架けられた橋。
東京オリンピック開催による
南北日本の和睦ムードの中、1963年に完成された。

この橋を渡れば両国を行き来できるものの、自由な往来は不可能で、
亡命を求めて渡橋を試み、そして失われていく人命も多い。
また、この統一の橋が架けられる以前、
この場所に架けられた橋は「両国橋」と言うのものであったことは、
昔よりこの日本分断という悲劇が予言されていたようで不気味である。
 

東京オリンピック[トウキョウ オリンピック]
1964年に南日本西東京で開かれた夏季オリンピック。
第二次世界大戦で焼け野原となった日本の再興を、
世界にアピールする為に行われたオリンピックで、
このオリンピックを契機として、南北日本の和解ムードが促進される。
東東京とを結ぶ「統一の橋」も、この時期に作られた。

そして東京オリンピックでは、東西に分断されたドイツと同じく、
南北日本による統一チームが作られ、これに参加した。
 

東京御所[トウキョウ ゴショ]
東京にある皇居のこと。
現在では一般的に、天皇が居住する奈良の御所が皇居と呼ばれる為、
奈良の御所と区別する為に「東京御所」という言い方が使われる。

これは、日本戦争のおりに、南日本の首都である西東京が一気に陥落し、
南日本の国家組織が麻痺状態に陥った事を教訓に、
戦後、奈良に名義上の新首都を作り、首都機能を分割化した為に起きた現象で、
現在では、皇太子が東京御所に居住する事となっている。
 

東京の堀[トウキョウ ノ ホリ]
北日本の飛び地である東東京を囲み込む堀の名称であり、
隅田川・荒川・東京湾・堀切を総じてこう呼ばれている。

日本戦争直後には、全ての橋が落とされて、
文字通り、東京の孤島と化していたが、
その後の南北日本の和解ムードにより現在では、
西東京へと渡す「統一の橋」が架けられている。

世界では「日本版・ベルリンの壁」とも呼ばれている。

区域の詳細地図


東京の堀

東北人民大学[トウホク ジンミン ダイガク]
略称として、「北大」とも呼ばれる。
戦前には「東北帝国大学」と呼ばれていたが、
大日本帝国の崩壊と共産政府の誕生により、同名へと変更された。

北日本の副首都である仙台に置かれ、北大に次ぐステータスを誇る大学。
 

東北人民レッドイーグルス[トウホク ジンミン レッド イーグルス]
副首都仙台に本拠地を置き、労働野球リーグで2番目に人気があるチーム。
同じ党管轄の北海道革命ファイターズとは、強烈なライバル関係にあるが、
人気の割には、全く勝つことが出来ないチームでもある。
 

徳田球一[トクダ キュウイチ]
日本共産党(主流派)の指導者であり、北日本の初代国家主席。
戦前からの共産活動家で、第二次世界大戦が終結するまでの18年間を獄中で過ごす。
終戦より釈放されると、野坂三参らと共に日本共産党を再建して書記長に就任。

1948年には、一方的に独立を宣言した南日本に対抗すべく、
ソ連スターリン同志の助力も得て、北日本の独立を宣言。
同時に徳田は、北日本の初代国家主席に就任する。

だが1950年に共産党内部で内紛が勃発。
日本共産党は、徳田率いる主流派と、宮本賢治率いる国際派とに分裂し、
これを好機と捉えた南日本側の工作により、
南日本での政治活動を認められた国際派は、南日本へ亡命。

北日本政府は一気に弱体化を見せるも、
この劣勢を挽回すべく行った軍事侵攻・日本戦争は、
南日本の油断も相まって、戦争当初は格段な成果を見せた。
1953年、徳田は日本戦争の休戦直後に死去する。

この時に行われた野坂三参追悼演説は、名演説として有名。
 

奈良[ナラ]
南日本の名義上の首都。
日本戦争において一気に首都・西東京が占領されて国家機能が麻痺した事を教訓に、
戦後、南日本政府は首都機能を奈良西東京とに分割。
より防衛しやすい奈良を新首都とし、それにあやかり国名も「大和民国」へ変更。
現在、天皇は皇居奈良御所)に居住しているが、
東京御所には皇太子がおり、実質的な首都機能は未だ西東京が担ってる。
 

新潟[ニイガタ]
友好の海(旧日本海)に面した北日本の貿易港。
北朝鮮元山より稀少金属を輸入し、それを元に精密機械を生産。
こうして作られた精密機械は、海を渡って函館ソ連ウラジオストックに運ばれ、
特にウラジオストックに送られた精密機械は、シベリア鉄道によりモスクワへ運ばれる。

またこの新潟は、南北日本の軍事境界最前線にありながら、
新潟県の出身である田中角栄により、北日本でも有数の都市へと発展。
人民理化学研究所の施設も多く置かれており、
現在、札幌仙台に次ぐ北日本にとっての重要都市である。
 

西東京[ニシ トウキョウ]
戦後、東京は日本分割占領によって、
アメリカ・イギリス・ソ連中華民国の4カ国によって分割統治されたが、
北日本が独立した際、ソ連統治下の東東京北日本へ属する事となった為、
アメリカ・イギリス・中華民国により統治される東京は、
東東京と対比されて、西東京と呼ばれるようになる。

南日本が独立した際には、同国の首都として制定され、
日本戦争の後、南日本は首都の名義を奈良へと移すが、
西東京には国会や省庁、東京御所には皇太子が残っており、
未だ南日本の実質的な首都として機能している状況にある。
 

日本共産党(国際派)[ニッポン キョウサントウ(コクサイハ)]
1950年の共産党内紛の際に、宮本賢治が率いた派閥。
徳田球一が率いた主流派との路線対立を繰り広げた。

同年、南日本の分断工作により、
南日本での政治活動を認めることを条件に、宮本たち国際派南日本へ亡命。
その後、南日本における共産主義者の牙城となる。
現在代々木に本部を置くことから、北日本の共産党員からは「代々木派」と呼ばれる。
 

日本共産党(主流派)[ニッポン キョウサントウ(シュリュウハ)]
1950年の共産党内紛の際に、徳田球一が率いた派閥。
宮本賢治が率いた国際派との路線対立を繰り広げた。

もともと主流であったが、国際派南日本亡命によって反対派が一掃。
しかしこれは人材の枯渇を意味し、日本戦争による人材不足も相俟って、
一般人民からの党中枢への人材抜擢が盛んとなり、
これが後の北日本大躍進に繋がる事となる。
現在札幌に本部を置くことから、南日本の共産党員からは「札幌派」と呼ばれる。
 

日本シリーズ[ニッポン シリーズ]
東京オリンピックが行われた1964年、
南北日本の和解ムードを後退させてはいけないと、
両国で共に人気のある野球の親善試合が計画される。

同年11月、北日本労働野球リーグの優勝チーム「北海道革命ファイターズ」と、
南日本の日本プロ野球リーグの優勝チーム「東京読売ジャイアンツ」とが、
北日本で3試合、南日本で4試合、合計で全7戦の親善試合を実施。
この試合は両国共に大変な人気を博し、友好を深める為にも、
以降これは4戦先勝の日本シリーズへと変遷していく。
 

日本人民解放軍[ニッポン ジンミン カイホウグン]
北日本の防衛と南日本の解放という任務を負う、北日本の国防軍。

第二次世界大戦終結後、シベリアへ抑留された兵士たちによる
北日本の独立と同時に組織・訓練された「シベリア義勇軍」が母体となっており、
日本戦争の際に、北日本へと帰還して「日本人民解放軍」と名称を変更。
同戦争において大いに活躍し、勇名を轟かせた。
 

日本戦争[ニッポン センソウ]
1950年から1953年にかけて、北日本南日本の間で行われた内戦。
北日本では「祖国解放戦争」の名で呼ばれている。

1950年、密かに軍備増強を進めていた北日本が、南日本へ解放戦争を開始。
先ずは南日本の首都である西東京へ向け、東東京の東京守備隊が奇襲攻撃を行い、
西東京は首都機能を停止し、南日本は大混乱に陥る。
この混乱に乗じて、北日本主力部隊たる日本人民解放軍が、
新潟方面と白河方面の2方向より同時に侵攻。
北日本軍は、南日本が統治していた関東・中部をわずか3日間で制圧。

しかしここで北日本軍が3日間の謎の進軍停止を行う。
その間に、南日本は防衛体制と立て直すと共に、アメリカを中心とした国連軍が参戦。
だが突然動員されたアメリカ軍の練度は低く、各地で北日本軍に撃破され、
遂には本州の端、平氏最期の地・山口県の壇之浦にまで追いやられる。

8月15日の解放記念日までに本州制圧を試みる北日本軍であったが、
南日本軍と国連軍はしぶとく堪え抜き、ここで北日本軍の進撃が止まった。
この壇之浦防衛戦を指揮したのが、日本戦争開戦当初には
フィリピンで拘留されていた山下奉文大将であり、
彼は兵士たちを鼓舞するため「壇之浦はダンケルクにあらず」の名言を残す。

その後、マッカーサー元帥による浦賀上陸作戦(通称・クロフネ作戦)によって、
南日本側は首都西東京を回復。
兵站線の伸びきっていた北日本軍は一気に劣勢となり、後退を余儀なくされ、
その余勢を駆る勢いで南日本軍とアメリカ軍は北進を開始。
一気に南日本による日本列島統一へ動き出す。

だがここで、今まで直接的な介入には消極的であったスターリンが、
北日本が失われればソ連本土を脅かされると、北日本側へ参戦。
不意を突かれた南日本軍とアメリカ軍は、37度線まで後退させられる。
これ以後、37度線では南北日本両軍による一進一退の攻防が展開されるも、
戦況自体は膠着化を余儀なくされ、
遂には1953年に休戦条約が締結されて、この日本戦争は終わりを遂げる。
 

日本プラウダ[ニッポン プラウダ]
北日本で唯一の全国紙であり、党の機関紙である。
以前は「赤旗(あかはた)」と呼ばれていたが、
1948年、日本共産党による北日本の政権獲得と共に同名へ変更。
「世界で最も真実を伝える新聞」として、国の内外から認められている。

初代主筆は、抑留時に日本語新聞を製作しシベリア天皇と呼ばれた浅原正基。
そして現在の主筆は、学生時代からの共産党員である渡辺恒夫
 

日本分割統治[ニッポン ブンカツ トウチ]
第二次世界大戦の終結後、連合国軍は、
アメリカ統合戦争計画委員会(JWPC)により作成された案をもとに、
以下のよう日本を分割して占領統治の分担を割り振った。

  千島南樺太‐‐‐‐‐‐ソ連が自国領へ編入
  北海道・東北‐‐‐‐‐‐ソ連
  東京‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐アメリカ・イギリス・中華民国ソ連
  関東・中部‐‐‐‐‐‐‐‐アメリカ
  近畿‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐アメリカ中華民国
  四国‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐中華民国
  中国・九州‐‐‐‐‐‐‐‐イギリス
  沖縄・奄美‐‐‐‐‐‐‐‐連合国軍ではなく極東米軍による単独占領

これらの分割統治は、南北日本の独立を契機に随時終了。
先ずは、関東・中部・近畿・中国・九州・東京・大阪が南日本として独立し、
続いて、千島南樺太・北海道・東北・東京(ソ連占領地域)が北日本として独立。
四国では中国の、沖縄ではアメリカの占領統治が続くこととなる。
 

日本民主主義人民共和国[ニッポン ミンシュシュギ ジンミン キョウワコク]
略称・通称として、「日本共和国」「北日本」「日本」とも呼ばれる。
日本国で唯一の正統政府であり、南日本を開放して日本を統一することと
アジア共産革命の前衛を担うことを国是としている。

素晴らしい科学的社会主義思想のもと、
世界で最も優れた国家と認知されており、
この理想的で優良な共産国家は、「人類の楽園」と呼ばれ、
共産主義・社会主義の正しさを証明した国家である。

また共産革命の世界普及に関しては、
東ドイツと共にソ連を支え、革命を推進させる「車の両輪」と呼ばれるも、
しかしソ連が衰弱化した現在では、「ソ連の松葉杖」と揶揄されており、
共産革命を導く次代のリーダーとしての期待も高い。

これ以上の詳しいことに関しては、「国家情報」を参照のこと。
 

野坂参三[ノサカ サンゾウ]
北日本の第二代国家主席
戦前から共産活動を行った同志であり、
1945年に解放されると、徳田球一と共に共産党を再建。
1950年の宮本賢治率いる国際派との内紛時には、主流派として活躍し、
徳田が没すると、あの有名な追悼演説により党内を掌握して主席職に。

しかしその後、戦前に野坂が行った山本懸蔵同志密告事件が
ソ連からの報告により発覚すると、党内部より糾弾されて南日本へ亡命。
以前の内紛時に南日本へ追放した宮本らと和解し、
代々木派(南日本の共産党)では野坂議長・宮本書記長体制となる。
だが1992年(野坂100歳)、山本事件が代々木派に知られて党より除名され、
居場所を失った野坂は北日本の保護を求め、翌年北日本で死去する。

ちなみに、南日本への亡命がスムーズに行われたのは、
北日本の新たな国家主席に就任した袴田陸奥男と、
彼の実兄である代々木派の重鎮・袴田里見の関係が大きかったと言われている。
 

パイプライン[パイプ ライン]
北日本の経済生産や人民生活を支える大動脈。
食糧資源や人的資源の豊富な北日本であるが、
石油や天然ガスなどのエネルギー資源は、輸入に頼らざるをえない。
その為に、ソ連から北樺太、南樺太を経由して、
北海道・東北に向けて友情のパイプラインで結ばれており、
これによって北日本は円滑に石油などの資源を得ている。
 

袴田陸奥男[ハカマダ ムツオ]
北日本の第三代国家主席
袴田は戦前から共産党員であり、シベリア抑留後もソ連に残留。
また、代々木派の党副委員長を務めた袴田里見は、彼の実弟であたる。
ソ連からの情報で山本懸蔵同志密告事件が発覚すると、
北日本で現役の国家主席野坂参三は党から突き上げを喰らい、
結果として親ソ派の官僚達が、彼をソ連から新たな国家主席として招聘する。

ちなみに、野坂の南日本への亡命がスムーズに行われたのは、
陸奥男・里見兄弟の関係が大きかったと言われているが、
国家主席としてこれ以外に大きな仕事を行えないまま、
官僚体制に抗おうと行動を起こした途端、用済みとばかりに1957年にソ連へ帰国させられる。
ちなみに、袴田同志が国家主席に就任する直前の1955年4月、
彼とソ連人女性との間に生まれた子供こそ、袴田イリーナ。
 

函館[ハコダテ]
北海道の南端に位置する北日本一の港街。
比較的穏やかな気候や、恵まれた地理的条件により、
共産国家における太平洋の窓口として、北日本の船のみならず、
ソ連北朝鮮などの船も、ここを多く利用し活気に満ちている都市である。
その重要さから守りも堅く、ウラジオストック函館を結んだラインは、
自由主義陣営から「東の鉄のカーテン」とも呼ばれている。

また、函館榎本武揚らによる蝦夷共和国発足の地であり、
これを日本初の共産革命と位置づけている北日本においては、
日本共産思想の聖地としても崇められている。
 

東東京
北日本が統治する、東京にある飛び地。
隅田川・荒川・東京湾・堀切の東京の堀に囲まれた地域であり、
墨田区・江東区の全域と、江戸川区の一部が該当地域である。

もともとは、終戦直後の連合国による日本分割統治により、
ソ連が同地域を統治していたのが始まりで、
その後の南北日本の独立により、北日本の飛び地として残る。

北日本東東京を守るため、同地域を要塞化。
日本戦争においては、この要塞化が役立ち北日本の牙城となり、
休戦に至る際にも、北日本による東東京の主権が認められるが、
南日本は全ての橋を落とし、東東京への兵糧攻めを行う。

しかし和解ムードが高まった1960年代には、
東東京西東京とを結ぶ1本の橋が架けられ、
その橋は「統一の橋」と名付けられた。
だが、未だ自由な行き来は出来る訳ではない。

区域の詳細地図
東東京

平壌[ピョンヤン]
北朝鮮の副首都。
朝鮮戦争によって朝鮮半島が統一される以前は、北朝鮮の首都であり、
半島が統一された現在では、北朝鮮の首都はソウルへと移されている。
ゴミ1つどころか、ヒト1人いない静閑な町並みは、
金日成同志、金正日同志の偉大さを物語るに充分である。
 

フルシチョフ米[フルシチョフ マイ]
1956年に、人民理化学研究所で開発された米の品種名。
正式名称は「人民28号」であるが、
一般的には当時のソ連指導者の名を取り「フルシチョフ米」と呼ばれている。

特徴としては、寒さに強いうえに、生産量もかなり多く見込まれる為、
北日本の実状に大変適した米の品種と言えよう。
しかし、更に味がよいアンドロポフ米が開発されてからは、
通称である「古米」を「ふるまい」ではなく「こまい」と呼ぶ輩も出てきた。
 

ベレンコ中尉事件[ベレンコ チュウイ ジケン]
1976年9月に、ソ連軍のベレンコ中尉がミグ25に乗り、北日本函館へ訪れた事件。
アメリカではこれを亡命事件だと言っているが、実際は単なる親善目的の訪日であったようだ。
しかしソ連は、アメリカのそうした発言を逆手に取り、
ベレンコ中尉を亡命者としてアメリカに潜入させる事に成功している
 

北海道革命ファイターズ[ホッカイドウ カクメイ ファイターズ]
首都札幌に本拠地を置き、労働野球リーグで最も人気があるチーム。
札幌ドームをホーム球場とし、優勝回数は最多を誇り、
同じく党管轄の東北人民レッドイーグルスとは、強烈なライバル関係にある。

また、影のオーナーとして渡辺恒夫が君臨している。
 

北海道人民大学[ホッカイドウ ジンミン ダイガク]
略称として、「北大」とも呼ばれる。
戦前には「北海道帝国大学」と呼ばれていたが、
大日本帝国の崩壊と共産政府の誕生により、同名へと変更された。
北日本の首都である札幌に置かれ、北日本一のステータスを誇る大学であり、
東北大と並び、北日本でただ2つしかない人民大学の1つである。

現在では、首都にある人民大学に相応しく、
政府を支える指導者や官僚を生み出す組織として、
北日本国内においても重要な地位を占めている。
 

マルクス・サンタ[マルクス サンタ]
クリスマスの夜に、資本主義国の子供たちへ
資本論を届ける現れるサンタクロース。
その実体は大量生産されたマルクスのクローンであり、
赤い服は共産主義の象徴。

クローンで大量生産されているのは、
一夜で多くの家を回るからであり、
資本論を配り終わった後、悪い子を空き袋に詰め込み、
共産思想教育を施す為、その子供たちをシベリア送りに。
マルクス・サンタ

満洲社会主義連邦共和国[マンシュウ シャカイシュギ レンポウ キョウワコク]
日本の傀儡国家だった「大満洲帝国」が、1945年にソ連によって解放されると、
社会主義国として生まれ変わり、ソ連主導の元、国際的にも独立が承認される。
戦後は、帝国時代の日本民族・朝鮮民族・漢民族・満洲族・モンゴル族の「五族」に、
ロシア人とユダヤ人を加えた「七民族」の共和を謳う国家に生まれ変わり、
その多民族が共存共栄する姿から、「東洋のユーゴスラビア」とも呼ばれる。

ちなみに、日露戦争の結果、旧ロシア帝国から日本へと譲渡された
「旅順・大連の租借権」は、再びソ連の元へと返されたが、
租借期限の99年を迎えて、1997年に満洲国へと返還された。
しかし旅順軍港に関しては、租借料を払った上で、引き続きソ連海軍が利用している。
 

南樺太[ミナミ カラフト]
北海道の北、大陸に沿うように位置する大きな島。
第二次世界大戦末期には、
ソ連がこれを領有することをアメリカも承諾し、
戦後直後はソ連領となるも、
北日本の独立に際し、南北の国力の差を考慮したスターリン同志により、
南樺太千島列島と共に、北日本へと無償返還される。

南日本を含めても、日本で唯一地上の国境線を持つ地域であり、
この為、北樺太を領有するソ連との交流はとても盛んであり、
南樺太では、日本人とロシア人の結婚も多く見られる。
また、北樺太で産する石油や天然ガスは、直接パイプラインで南樺太へ送られ、
これは北日本経済においても、重要な位置を占めている。
 

南日本大学共産主義連合会[ミナミニホン ダイガク キョウサンシュギ レンゴウカイ]
略称として、「南大連」とも呼ばれる。
資本主義下にある
南日本において、
共産主義を信奉する大学生たちが、共産革命を目指して活動する団体。

60年安保に燃えた団塊世代が定年を迎えつつあり、
彼らの退職金などを資金源として、活動していると言う。
現在、第二次安田講堂籠城作戦を計画しているという噂も。
 

宮本賢治[ミヤモト ケンジ]
南日本における日本共産党(国際派)のドン。
北日本建国当初は同政権に参加するも、1950年の共産党内紛では国際派を結成。
その後、南日本の懐柔工作により、
南日本での政治活動を認めることを条件に、宮本たち国際派南日本へ亡命。
日本戦争時には、共産主義者の分断工作を行い、
戦後は南日本の国会議員となり、少数野党ながら共産党の議席を維持し続ける。

「日本の共産主義を分断した人物」や
南日本にも共産主義の保護と拡大に尽力した人物」と、
その評価は賛否両論に分かれる人物である。
 

モスクワモスクワ
ソ連の首都であり、共産革命の総本山。
世界中の共産国家から人が集まり、まさに国際都市の名に相応しい風格を持つ。
共産主義者なら、一生に一度は行ってみたい都市であろう。
特に赤の広場に立つと、感涙し震えない共産主義者はいないであろうし、
レーニンの蝋人形は、共産革命への思いを熱く呼び覚ましてくれる。
 

大和民国[ヤマト ミンコク]
略称・通称として、「大和」「和国」「南日本」「南賊」とも呼ばれる。
米帝の支配下に置かれた日本列島南部の傀儡国家。
日本国唯一の正統政府である日本共和国は、これを反政府組織扱いしており、
支配された南日本を開放すべく、日本共和国は日夜戦い続けている。
また日本共和国では、通常「南賊」の名で呼ばれている。

ちなみに「大和民国」とは、日本戦争後に、
南日本政府が首都機能を分割した際、奈良を新首都へ定めたおり、
このような国名に変更された。
ついでに変更前の国名は「日本民国」であった。
 

友好の海[ユウコウ ノ ウミ]
旧名称を「日本海」と言う。
北朝鮮が旧日本海を「東朝鮮海(東海)」と呼ぶように指摘し、
それを拒む北日本によって、両国の関係が険悪化。
これを危惧したソ連の仲介により、
北日本北朝鮮ソ連の3国家を結ぶ「友好の海」という名称に落ち着く。

現在では、北日本新潟北朝鮮元山ソ連ウラジオストックとの間で、
海を介しての密接な結び付けが生まれ、まさに「友好」の名に相応しく、
旧日本海は渤海国以来の繁栄を見せている。
 

郵政民営化[ユウセイ ミンエイカ]
南日本で行われている改革の1つ。
市場の活性化を目的としていると言われているが、
北日本では、「ポストが赤いから」と言うのが原因で、
南日本政府による、赤狩りの一環として捉えられている。
 

琉球自由国[リュウキュウ ジユウコク]
終戦直後、日本分割統治により、
沖縄県と奄美群島は、アメリカによる直接的な占領統治を行われた。

アメリカは沖縄の重要性を認識していた為、
グアム同様に、この地域を自国へと編入しようと企むも、
日本復帰を願う住民の大きな反対にあい、これを断念。
1953年には、基地がない奄美群島を南日本へと返還するも、
アメリカ軍は1972年まで、沖縄の軍事占領統治を続ける。

1972年、世界の批判に耐えきれなくなったアメリカは、
沖縄がもともと琉球という独立国だったことを盾に、
アメリカは沖縄を「琉球自由国」として強引に独立させる。
しかしこの国は、アメリカの傀儡国家たる隷属的な憲法を持たされていた。
 

レーニン像[レーニン ゾウ]
仙台の青葉城跡に立つレーニン同志の銅像。
札幌スターリン像に次ぐ北日本有数の観光名所であり、
この銅像もまた、革命を記念して建立された。
副首都仙台のシンボルである。

この像は、レーニン同志がロシア革命の際に、
自ら騎乗してモスクワへ向かったおり、
その勇姿を銅像へ写したものと言われている。

青葉城跡のレーニン像

労働野球リーグ[ロウドウ ヤキュウ リーグ]
労働者の娯楽として組織された、職人たちによる北日本の野球リーグ。
共産党直轄の「北海道革命ファイターズ」「東北人民レッドイーグルス」、
各地方の共産党支部管轄の
「コンサドーレ札幌」「アルビレックス新潟」「ベガルタ仙台」「モンテディオ山形」、
計6チームにより構成され、毎年リーグ戦が行われている。

南日本にも同じような日本プロ野球リーグという組織が存在し、
1年に1度、南北両リーグの優勝チームが日本一を決すべく行われる「日本シリーズ」は、
南北日本の友好と親善とに役立っている。
 

ロッキード事件[ロッキード ジケン]
旅客機購入を担当する北日本の外務官僚・六木戸紅漢(ろっきど こうかん)に対し、
ソ連のツポレフ社から賄賂として21億円が流れ、
そのうちの5億円が北日本国家主席田中角栄に流れたと言われる事件。
しかしそれは、アジアで独自外交を繰り広げる田中角栄を恐れ、
アメリカが角栄を陥れようとする陰謀であったが、実際には効果がなかった。

ちなみに「ロッキード」とは、「六木戸」をアメリカが言い易いように言い換えたもの。
 

渡辺恒夫[ワタナベ ツネオ]
現在、日本プラウダの主筆を務める人物で、愛称は「ナベツネ」。

東京帝国大学の学生であった終戦直後、日本共産党へ入党。
戦後、日本が連合国により分割統治される中、
共産政権の樹立が進められていた北日本において、広報活動を展開。
特に日本戦争中、南日本へのプロパガンダは高く評価されて、
一躍、日本プラウダの重要人物へと登り詰める。

共産政権の内部とも強い繋がりを持ち、
その力を背景に、日本プラウダのトップへ就任。
また労働野球リーグの「北海道革命ファイターズ」影のオーナーでもある。